おっさんベイベー の小話

世間ではおっさん おっさんの中ではまだまだベイベー

居心地の悪い飲み会で、しっかりやれる人はすごい

最近思ったことがあって、

それを考えると昔聞いた言葉を思い出して、

「ならいっか」と自己解決したお話です。

 

私は教員なので、学校で授業をしていると、当たり前ですがうまくいくときと、うまくいかないときがあります。

私は体育の授業をしているのですが、

 

「うまくいくいっているかどうかは、盛り上がっているかどうか」

 

で結構判断しています。

もちろん「生徒たちが全員楽しんでくれているか」という意味もあります。

それだけでなく、そこを深く考えていくと、楽しむためには、

 

目の前の課題が難しすぎず、簡単すぎないものになっているか

 

周りの人と十分な人間関係、信頼関係ができているか

 

全員が「やってみよう」と思える雰囲気ができているか

 

今からやるべきことが明確か≒教員の指示や説明が短く端的か

 

等などの要素が必要だと私は考えています。

そしてそれらの要素をうまいことやれていると、うまくいっている授業になり、

うまいことやれないと、うまくいってない授業になります。(わたし的に)

 

なのでうまくいかなかった授業があると、何が悪かったかとか、どうすればよかったかとかを考えますし、

生徒に悪いことしたなぁとも思って凹んでしまいます。

もちろんそんな思考回路のおかげで、次回の授業をうまくいかせられるよう頑張るので、悪いことでもないとは思います。

 

とはいえ私も人間。

凹むのは気持ちのいいことではありません。

 

そんな中で、昔聞いた言葉を思い出しました。

それは

 

「居心地の悪さは成長の証」

 

という言葉です。

たしか何かのスポーツのどこかのコーチ(もはや誰)が言っていました。

いわゆるスランプだとか、チームの雰囲気が悪いとか、

スポーツをやっていて、一生懸命やればやるほど、「居心地の悪さ」を感じる瞬間は多いと思います。

 

けどそのコーチ曰く、

「居心地の悪い瞬間は、自分が成長している時間だ」

というのです。

 

たしかに言わんとすることは分かります。

思い返してみると、居心地が悪い瞬間は気づけませんが、いざ居心地が悪い瞬間を抜けたとき、自分が1つレベルアップしていることがほとんどだと思いました。

 

そんな言葉をもとに、私がうまくいかなかったと感じた授業を振り返ると、

 

うまくいっていないと感じる授業

 ⇒盛り上がってない

 ⇒生徒が居心地悪そうにしている

 

と言い換えることができます。

そうするとつまり、

 

「居心地悪い⇒成長している」

 

という新しい計算式を追加することができました。

そう考えると、私も生徒に対して悪かったなぁと必要以上に感じることはないと思えます。

なぜなら成長する機会を与えられたのだから。

なぜなら学校は成長するための場なのだから。

 

よし。明日の授業もうまくいかなくていいや。

 

 

 

寝よ。

 

 

 

終わり