限界を超える
限界を超えた先に、新しい世界が見える
的なことはよく耳にします。
今日私は1つの限界を超えます。
そう、ブログの文字数という限界をね。
(書くこと思いつかなかった)
(そもそも書くの忘れてた)
(もう寝る)
(でもこれは「継続した」にカウントします)
(自分に甘く、人にも甘く、甘ったるい世界を目指す)
(おやすみなさい)
終わり
ポジは行き先、ネガは行き方
久しぶりにブログを再開して、ちょうどその頃に「コーチング」というやつを始めてみようとなりました。
今日はそこで考えさせられた話です。
私がやってもらっているコーチングでは、ざっくり言うと
「私はどんな人間なのか」
というのを明らかにしてくれる、明らかにすることを目指しています。
それをより鮮明に理解することで、
自分がやりたいことは何なのか、とか
自分に向いていることは何なのか、とか
今自分がやるべきことは何なのか、とか
そんなことを導き出していくことで、よりよい人生にしようぜ!というものだと私は理解してます。
その中で、「自分が好きなこと」や「得意なこと」を過去の経験から振り返ってみよう、というワークをやってみました。
そしてそこで思いついた好きなことや、得意なことは、さらに深く考えていくと、根っこの部分にある自分の目的や理想って何だったんだろう?
みたいなことまで考えていきます。
例えば「料理が好き」だったら、そこにある根っこは
「おいしいものが食べたい」なのか、
「(作ったものを人に食べてもらって)人に喜んでもらいたい」なのか、
「食材や調味料の組み合わせを考え、研究するのが好き」なのか、
というように根っこを深く深く考えていきます。
そしてその中で1つルールがあります。
「ネガティブから逃げるための思考は除外する」
というルールです。
例えば「時間を守る」のが得意だと考えていたけど、
根っこの部分を考えてみると「遅れて怒られるのが嫌だった」
みたいなネガティブな理由を回避するための行動だった場合は、
好きなことや、得意なことからは除外しよう。というルールなのです。
このルールが意外と難しくてですね、
いかにネガティブから逃げるための行動をしているかを、自分のことなのに改めて気づかされました。
という感じの作業を通して、まさに私は今、自分を探している最中なのです。
この作業を通して、自分を見つけるより先に、
こうやって生きていけばいいのでは?
ということを思いました。
それがタイトルにもしているように、
「ポジは行き先、ネガは行き方」
です。つまり
ポジティブな感情に従って行き先を決めて、
ネガティブな感情に従って行き方を決める
ということです。
おそらく誰しもが大なり小なり、強いなり弱いなり、「やりたいこと」や「やっていると楽しいこと」など、ポジティブな感情があると思います。
そのポジティブな感情に従って、自分が向かいたい先を先に決めちゃうのです。
「A大学に行ったら楽しそう」ならA大学を目指す
「B会社で働いてみたい」ならB会社に応募する
「Cという新しいスポーツにチャレンジしてみたい」ならCを始める
というように、これから向かう先を決めちゃいます。
そうすると、
「失敗したらどうしよう」
「周りの人に反対されそう」
みたいな、ネガティブな感情が出てくると思います。
(出なければ万々歳\(^o^)/)
さすれば!このネガティブな感情に従って「行き方」を考えるのです。
ポジ「A大学に行ってみたい」
ネガ「けど親は反対しそう」
なのだとすれば、考えるべきは
「親が許してくれるA大学の行き方」
なのです。
「A大学に行くべきか、否か」
ではなく、「行く前提」として「行き方」を考えるのです。
この行き方さえ見つけられて、実行できれば、自分はもちろんハッピーだし、親も納得してくれる、もう言うことなしになるはず。
例えばその方法は、「A大学に特待生で入学する」なのか、「信頼できる友人と一緒に行く」なのか、「アルバイトを頑張って、自分で学費を払う」なのか、様々考えられると思います。
といった感じで、「ポジで行き先、ネガで行き方」という考え方で、人生を進めていけば、楽しいことが増えていくのではないか、と今回思ったわけです。
人生の中で、人は数えきれないほどの「選択」をしていると、よく言います。
その選択をするって時に、これからはそんな風に考えてみたいと思います。
終わり
居心地の悪い飲み会で、しっかりやれる人はすごい
最近思ったことがあって、
それを考えると昔聞いた言葉を思い出して、
「ならいっか」と自己解決したお話です。
私は教員なので、学校で授業をしていると、当たり前ですがうまくいくときと、うまくいかないときがあります。
私は体育の授業をしているのですが、
「うまくいくいっているかどうかは、盛り上がっているかどうか」
で結構判断しています。
もちろん「生徒たちが全員楽しんでくれているか」という意味もあります。
それだけでなく、そこを深く考えていくと、楽しむためには、
目の前の課題が難しすぎず、簡単すぎないものになっているか
周りの人と十分な人間関係、信頼関係ができているか
全員が「やってみよう」と思える雰囲気ができているか
今からやるべきことが明確か≒教員の指示や説明が短く端的か
等などの要素が必要だと私は考えています。
そしてそれらの要素をうまいことやれていると、うまくいっている授業になり、
うまいことやれないと、うまくいってない授業になります。(わたし的に)
なのでうまくいかなかった授業があると、何が悪かったかとか、どうすればよかったかとかを考えますし、
生徒に悪いことしたなぁとも思って凹んでしまいます。
もちろんそんな思考回路のおかげで、次回の授業をうまくいかせられるよう頑張るので、悪いことでもないとは思います。
とはいえ私も人間。
凹むのは気持ちのいいことではありません。
そんな中で、昔聞いた言葉を思い出しました。
それは
「居心地の悪さは成長の証」
という言葉です。
たしか何かのスポーツのどこかのコーチ(もはや誰)が言っていました。
いわゆるスランプだとか、チームの雰囲気が悪いとか、
スポーツをやっていて、一生懸命やればやるほど、「居心地の悪さ」を感じる瞬間は多いと思います。
けどそのコーチ曰く、
「居心地の悪い瞬間は、自分が成長している時間だ」
というのです。
たしかに言わんとすることは分かります。
思い返してみると、居心地が悪い瞬間は気づけませんが、いざ居心地が悪い瞬間を抜けたとき、自分が1つレベルアップしていることがほとんどだと思いました。
そんな言葉をもとに、私がうまくいかなかったと感じた授業を振り返ると、
うまくいっていないと感じる授業
⇒盛り上がってない
⇒生徒が居心地悪そうにしている
と言い換えることができます。
そうするとつまり、
「居心地悪い⇒成長している」
という新しい計算式を追加することができました。
そう考えると、私も生徒に対して悪かったなぁと必要以上に感じることはないと思えます。
なぜなら成長する機会を与えられたのだから。
なぜなら学校は成長するための場なのだから。
よし。明日の授業もうまくいかなくていいや。
寝よ。
終わり
Who am I?
学校で働いていると、
「自分が学生だったときって、どんなんだったっけなぁ?」
と思うことが時々あります。
そして年々記憶は薄れていっています。
その薄れゆく記憶の弊害として、生徒の気持ちが分からなくなる、理解できない、ということを今年になってよく感じるようになりました。
自分の言ってることがうまく伝わらない、生徒が何を言いたいか、何がやりたいか想像もできないし、理解もできない。
これまで生徒と年齢的にも近く、相手の目線に立てていたアドバンテージが、
自分が年老いていくごとに、自分の力だけで戦わねばならんのか、、、
という現実を突きつけられております。
かといって、
「若者の気持ちがわかるままでいたいっ!」
「俺は若者の代弁者だ!!」
「若者よ、俺に集えぇい!!!」
という気持ちもどんどん無くなっています。
たしかに逆に考えてみると、
あまりにも若者の気持ちが分かるおっさんって、
私は少し嫌です。。\(^o^)/
そうなってくると、今の自分が目指したいというか、なりたい姿って、
一体どんなんなんかぁ…というのを最近よく考えるのです。
例えば20代なら、
「若いのにしっかりしている」
とか
「大人と子供の間をうまく立ち回れる」
とか、そんな姿にあこがれていました。
そして今想像するに、50代になったら、
「柔軟な考え方ができる(頑固おやじの対称的存在)」
とか
「逆に堂々とカッコつける」
とか、そんな50代がいいなぁとなんとなく思い描いています。
さて、そうなってくると、30代ってどんなのがいいかなぁ、、と悩んでしまいます。
若ぶってるイタイおじさんにはなりたくないし、
かといってベテランに間違われるような老け込んだ感じにもなりたくないし、
ダサいおじさんも嫌だし、
ギラギラしすぎてるおじさんも違うし、
おそらく私の根底には、「普通ではない人間」でありたいと思っています。
私の周りの友人も「変わってるね」と言われると、
「褒められた\(^o^)/」と感じる変人が多いです。
「普通ではない」けど「かっこいい」
そんな所が私の目指す先です。
となると、30代の普通ではない、30代のかっこいいって何よ?
そもそも30代の普通って何よ?
20代の延長でいいの?50代目指してる感じがあったほうがいいの?
だれか教えてください。私はどこを目指せばいいのか。
そんな30代を描いた映画とかドラマとか漫画とか、ないですか?
私の目標になりそうな30代って、誰かいませんか?
この問いに対する答が出たら、またこのブログで報告します。
明日は月曜日、加齢臭だけには気を付けて、頑張ってまいります。
終わり
過去の自分が今の自分をたまに助けてくれる
今日はずっと家にいまして、お昼ごろに
「あー、コンビニのコーヒー飲みたいなー」
って思ったんです。
で、買いに行こうかと思ったんですが、いざ財布を見ると
50円玉×1
10円玉×3
1円玉×3
旧札の1000円札(夏目漱石)×1
の布陣だったんです。
まぁ全然コーヒー買えるんですよ、全然。
しかし今日ここで、
この100円のコーヒーのために、
夏目漱石先生に出陣していただくのはいかがなものか…
もしかしたら、明日この旧札で話が盛り上がるかもしれない…
明日奇遇にも旧札を探している貴婦人と出会い、その旧札を1万円で引き取ってくれるかもしれない…
「夏目先生、私はどうすればいいでしょうか」
吾輩は困った猫になっておりました。
そこでどこか部屋の中に現金落ちてないかなーと、部屋の散策を始めたわけです。
そこでふと本棚を見ると、前の前に使っていた財布がありました。
もうかなり前に引退してもらっていた財布でしたし、
引継ぎ業務は問題なく終えたはずでしたので、
もう1度財布を開いても、何の成果も得られませんでした。
と、思ったのですが、1つ気になったことがありました。
「なんかこの財布重くないか?」
何も入っていないはずの、この財布がなんか重く感じたのです。
この重さに、夏目先生防衛隊の私は希望の光を感じました。
そしてよく財布を観察すると、財布の外側?に
実用性低いけど、一応つけといてみたよ!って感じのファスナーがありました。
そのファスナーをあけると、そこはもう金山を発掘したかのごとく、油田を発見したかのごとく、温泉を掘り当てたかのごとく、
500円玉が大量に出てきたのです
そう、500円玉貯金をしていたらしいんです。過去の私は。
何年前かも分かりませんし、大量の500円玉を見ても何も思い出せませんでした。
私の頭の中の消しゴムが大活躍したのでしょう。
けどそこには確かに大量の500円玉があります。
「夏目先生、過去の私が貴方のことをお守りしてくれましたっ…!」
というわけで無事コンビニでコーヒーが買えました。
そして日本人のタンス預金ってやつはあなどれないけど、眠ったままで二度と目が覚めないパターンも全然あるわ、って身をもって思いました。
そしてお金が無いと、日常のちょっとしたことがアトラクションになるけど、
やっぱりお金はあったほうがいい。
「500円玉貯金はじめようかなー」
終わり
徒然なる日記
危うく三日坊主どころか、二日坊主になるとこでした。
もう大して何書こうかとか考えられてないので、最近の自分がハマっているものを書き留めておくだけの回とします。
かくいう私は、You Tubeがこんなにも世の中に浸透する前から、You Tubeの世界に魅了されていました。
当たり前ですが、You Tubeの世界って、お邪魔するたんびに新しい世界がそこには広がってますよね。
そんな中で最近出会った人たちを紹介します。
1人目は「Cateen かてぃん」さんという方です。
説明はさておき、先にとりあえずこれを見たら(聴いたら)良いと思います。
7 levels of "Twinkle Twinkle Little Star"(きらきら星変奏曲) - YouTube
そう、ピアノを上手に弾く系You Tuberです。
大変無礼ですが、まったくかてぃんさんのことを存じ上げなかったのですが、
なぜかある日「ぽんっ」と関連動画に出てこられまして、
幼い頃にピアノをかじっていた私(かつての得意曲はアンパンマンマーチ)としては、
どんなもんじゃいと見てみました。
もうね、圧倒されたって感じです。
このかてぃんさんは、有名な曲をカバー?して弾いたりもしてるんですが、
私としてはかてぃんさんがアレンジしまくってるやつのほうが、
かてぃんさんの世界をバコン!!とぶつけられる感じがするので、おすすめです。
そして、つづいての動画がこちら。
Dynamite/BTSをピアノおばあちゃん(芸大ピアノ科首席卒73歳)に4時間練習だけで高速演奏させてみた♪【3分暗記】 - YouTube
そう、かてぃんさんを見てたら関連動画で出てきたんです。
もう「73歳芸大主席卒」の響きが強すぎるでしょう。
そしてサムネ。どんなやねんって。もう見るしかないわって見たんです。
もうね、圧倒されたって感じです。(2回目)
単純に初見?でここまで弾くの?っていう驚きと、
楽譜から読み取ると、今どきの音楽もそんな上品な感じに読み取れるんですねって、思ったり、
え?そもそも73歳ってなに?どゆこと?ってな感じで、
もう聴けば聴くほど、考えれば考えるほど、バコンです。
お二人に共通して感じましたが、
人間が本当に突き詰めて身に着けたものって、「美しさ」を感じます。
無駄が一切ないというか、もう間違いなくすごいじゃんって、素人でも伝わるというか、
絶対この人えぐい量の努力してきたじゃろ、って感じさせてくる
そんな美しさをお二人から感じました。
こんな素晴らしいものが無料で感じれる、良い時代ですよね。
終わり。
三日坊主って、三日で坊主になれるってこと?
よし。ブログ再開2日目。よくがんばってるぞ、自分。
継続したいと思っていても、継続できないことばかり。
どうすれば継続できるのだろうか…
今日はどうすれば継続できるのか、作戦会議です。
自分のこれまでの経験の中で、数少ない継続できたことを振り返ってみたり、
最近聞いた話で、それは確かに、と思ったことをまとめてみたりします。
というわけで、まず
案①生活リズムにねじ込む
です。
これは私が日本代表になれた経験から、自分で感じていることです。
日本代表になるために、才能のあまり無い私はとっても努力しました。
つまり毎日トレーニングを継続したのです。
どれくらい継続したかと言うと、
おそらく1年半くらいの間、休んだのは正月の1日だけだったと思います。
雨が降っても外を走り、
仕事が遅くなっても、そこからジムに行き、
飲み会がある日でも、その直前に公園に行ってステップ練習をして(変質者)、
振り返ってみると、我ながら本当によく継続できたと思います。
なぜ継続できていたか、自分なりに考えると、
「晩ご飯の前に必ずやる」
というリズムをキープできたからだと思います。
(それ以外にも目標設定や、自分のリミッターをぶっ壊す等、様々な要因はある気がしますが…)
晩ご飯は毎日食べますよね。
仕事があってもなくても、家でも旅先でも、一人でも誰かといても。
そこに「トレーニング」をトッピングすれば、必然的に毎日継続することができました。
晩ご飯を食べるという行為は、「直前のトレーニングまでセット」と自分の中でルール化したのです。
そして最初の頃は
「10秒でも体を動かせばトレーニングとカウントする」
と、激アマのルールを作り、まずは毎日継続するところから始まりました。
そんなことから始めると、気づけば1年間ほぼ毎日トレーニングを継続することができました。
これが「生活リズムにねじ込む」ということです。
つづいては、
案②循環させる
という案です。この案は、最近聞いた話です。
レッツゴーなぎらさんというYouTuberが密着していた豊田さんという、動物病院を経営してらっしゃる人が動画内で話していたことです。
【完全密着】金言連発!?超ファニーな社長に1日密着してみた。 - YouTube
(完全に私の都合の良い解釈、理解ですので、豊田さんのご意見とは異なるかもしれません。悪しからず。)
例えば、家庭がある人にとって、仕事と家庭のバランスをとるために、
「仕事をがんばるから、家庭のことは後回し」
とか
「家庭のことがあるから、仕事はほどほどで」
となってしまいがちなこの世の中。
しかし「循環」という考え方は、
「仕事がんばる
→給料増える
→家族にプレゼントできる
→家族喜ぶ
→自分がうれしい
→もっと仕事がんばろう」
という全員ハッピーな状態のことを指します。
この循環がうまくいけば、どんどん楽しくなったり、やりたくなったりして、
気づいたら継続できるんじゃないか、と私は思うのです。
逆に継続できていないことのほとんどは、何も循環がしていない状態なんじゃないかとも思います。
現に私が継続できなかったこのブログも
「ブログ書く→・・・(虚無)→ブログ書く→・・・(虚無)→やめる( ^ω^)」
と、なにも自分への循環が発生する状態ではありませんでした。
これがおそらくブログが色んな人の目にとまり、反応でもあれば、1つの循環が生まれるのかなと思うのです。
多くの人じゃないにしても、たった1人でもクソ熱狂的なファンがいて、
ブログを更新するたびに5000字くらいのコメントを送ってくれたとしたら、
それはまた新たな循環ですよね。
まぁそのファンのコメント自体がブログ以上の読み応えやないかい、というミイラ取りがミイラ状態ですが。
誰かに読んでもらうこと以外にも、
例えば日々起きたことを自分でメモするつもりで書いて、
ふとしたときに自分で読んでみて、
そんなことあったなぁと楽しい思いになって、
よし、今日あったことも書いておこう、と日々思うことができれば、
これはこれで1つの循環ではないでしょうか。
なんかそういう「循環」している状態を、このブログでも発生させられれば、
きっと継続できそうな気がするんです。
という感じで、明日も書けたらいいなぁと思いつつ、終わります。
終わり