おっさんベイベー の小話

世間ではおっさん おっさんの中ではまだまだベイベー

先生のあるあるな悩み?指導がうまくいっているのか不安 そんなときこんな軸で考えてみると、自分にとって大切にすべき考え方が見つかるかも 「teach」と「coach」

こんにちは、おっさんベイベーです

 

前回?前々回?に書いた「先生はコーチ?コーチは先生?」

 

ossanbaby.hatenablog.com

 

の続きみたいな話になります。

私が指導する上で大切にしていることの1つに

 

「生徒の気持ちを尊重する」

 

ということがあります。

なぜこれを大切にするのか、書いていきます!

 

言葉の定義 

今回の話をするのに、2つの言葉の定義をしておきます。

 

1つは『teach』 もう1つは『coach』

 

です。それぞれの意味を私は

 

teach・・・指導者が持っているものを教えること

coach・・・生徒の中にあるものを引き出すこと

 

だと解釈しています。

※あくまで私なりの定義なので、英訳として正しいかどうかは気にしていません

 

私は体育やスポーツについて教えることが多いので、体育を例に説明します。

例えば、「50m走」という授業があったとき、

 

teachとして教えることは「走り方」や「スピードの配分」など、走るために必要な知識や技術です。

 

反対にcoachとして引き出したいことは「走る楽しさ」や「自分の走りが変化する喜び」みたいなものです。これは時として「走る辛さ」や「陸上競技は面白くない」という結果になることもありえます。

それはなぜかというと、coachするということは、私(指導者)の思いや感覚を押し付けることはあってはならないからです。あくまで生徒の気持ちを尊重するのがcoachなのです。

 

ここまで読んで頂いた内容をふまえ、冒頭に書いたことを振り返って頂くとお分かりかと思いますが、私は「teach」だけでなく「coach」も大切にしたいのです。

 

これはcoachとして成功?失敗? 

 

先ほどの50m走の例に戻ります。

授業を通して、例えばある生徒が「走ることは楽しくない、二度と走りたくない」となったとします。

スポーツ大好き、脳みそも筋肉にしたい私にとって、これはとても辛いことです。

けどcoachとしては成功していると考えます。

 

50m走が持つ可能性を、ありとあらゆる角度から体験させることが指導者の役割であり、無理矢理この競技は楽しいんだ!と押し付けることはteachでもcoachでもないからです。

「この授業を通して、50m走について様々な経験を積んでみたけど、やっぱり私にとって走ることは楽しいものじゃなかった」となったのであれば、それはその生徒にとって1つの収穫だったのだと私は考えるようにしています。その生徒が将来、50mを走るかどうかの選択をせまられたとき、「嫌です。なぜなら〇〇だからです」とハッキリ断ってくれれば、ある意味で私の授業のおかげで断れた、とすら思うようにしています。

 

どんな指導がしたいか

 

とはいえ、やはり走る楽しさ、喜びみたいなものを伝えるのが私の仕事ですし、そのプロだと自負しています。

 

「生徒にとって走ることは楽しくない」という結果になるのは仕方がない

 

とは全く思っていません。

何とかして、自分の中にある楽しさや喜びを見つけてほしいと思いますし、

そのための手立てをいつも考えています。

 

こういうことに気づいてほしいな~

こういう風に感じてほしいな~

 

とは思いながら指導には当たります。

しかし生徒がそうは思ったり、感じたりしなくても、私の思いを押し付けることは絶対にしません。

そして最低限、生徒がその競技に対してどんな風に感じようが、どんな風に思おうが、その競技に関する知識や技術、経験を身に付けさせることが指導者としての義務であり、これはteachすべき内容だと思います。

 

ということで、teachだけでもダメだし、coachだけでもダメだし、

どちらもうまくバランスを取りながらやっていきたい

そしてその中で私はcoachを大切にしながら指導したい

 

そんな風に思っています。

coachについてはスポーツ指導以外にも様々な場面でも出番があると感じているので、

そんな話も今後したいと思います。

 

では、今回はこれにて終わります。

読んでいただいてありがとうございました。

 

 

~終~